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芸能人もよく来るオシャレ&セレブな街の狎鴎亭(アックジョ
ン)。個性的なプライベートブランドや世界有名ブランドのブ
ティックがあり、レストランも昔ながらの韓国料理店からオシ
ャレなカフェ&レストランがたくさんあります。有名ブランド
がいっぱい入っているギャラリア百貨店やブティックや飲食店
が集まったロデオ通りまで、まさに魅力満載のエリア!しかし
ちょっと物価は他のエリアよりも高め!明洞(ミョンドン)や
東大門市場(トンデムンシジャン)の並ぶ江北(カンブッ・漢
江の北側)とは雰囲気も、道行く人々のセンスも違います。お
シャレなレストランやバーなど、ぜひおシャレして行ってみた
いっというお店もたくさんあるので、是非1度行ってみること
をお薦めします。
奈津子さん より
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今回はソウル市中区(チュング)新堂洞(シンダンドン)にあるトッポッキタウンをご案内しましょう。
トッポッキとは長細い韓国餅を甘辛く煮た料理で、新堂洞という街はそのトッポッキ発祥の地です。
このトッポッキタウンは約100メートルの道路の両脇に、トッポッキ店が並んでいます。ところで、
きょうはトッポッキを食べに来ただけではありません。トッポッキタウンといえば、もう一つ有名なものがDJです。ヒップホップユニット
「DJ.DOC」の『新堂洞(DJハリケーン・パク)』という歌があるほど有名なのです。ではまず、
トッポッキ店を経営している方に話を聞きました。

「昔のトッポッキは、唐辛子味噌を付けた餅を練炭の火で焼いただけの単純なものでした。それが、ガスコンロを使って、
野菜やラーメンなど色々な具を加えるようになりました。80年代から90年代初めの全盛期には、30軒以上の店がありましたが、
98年に襲った韓国経済危機で店が減り、今は13軒になりました。この店は24時間営業で、昼は学生、夜は社会人、
夜中は水商売の人や隣町の東大門市場で働いている人が仕事帰りに寄ってくれます。昔は学生が多かったのですが、
最近は中年層のお客さんが増えました。今の学生はトッポッキより、ピザやハンバーガーの方が好きですからね。
それでは、DJハリケーン・パクこと、パク・ドゥギュさんのお話です。
「今から30年前の中学生の時からDJをやっています。当時は新堂洞のトッポッキ屋の中学・高校生DJが大人気でした。
ファンの大半は女子高生で、ほとんど毎日店に来ていました。ファンレターも一日100通はもらって、
今のアイドルスターにも負けないくらい人気があったんですよ」。

新堂洞のトッポッキは、餅や野菜、麺などの具が入った鍋という形で出てきます。
注文する時は、基本のトッポッキ鍋に、お好みで麺、玉子、練り物などを追加できます。
注文は二人前からです。鍋と一緒に出てきたのは、ステンレス製の皿に、フォークとスプーン。
食べる時は、赤い汁が服にとぶかもしれないので、エプロンを掛けて食べます。
トッポッキはおやつ感覚で食べる人の方が多いのですが、
新堂洞のトッポッキはしっかり食事になります。
それにしても、「トッポッキにDJなんて」と多少違和感があったのですが、
実際、DJに会ってみると、これがなかなかいい感じではありませんか!!
80年代に高校生だった韓国人には、新堂洞のDJは懐かしのスターなんでしょうね、
リアルタイムで見たかったなと思いました。
新堂洞トッポッキタウン:ソウル地下鉄2・6号線「新堂(シンダン)」駅8番出口徒歩3
ファッション、グルメ、エンターティメントと世界の最新情報が集まる若者の街、アックジョン洞。 韓国の最先端をいくこの街にアメリカ発のレストランが誕生し話題を集めています。レストランの屋号は「フーターズ」。英語で「ふくろう」 という意味ですが、同時に『大きな胸』という隠語でもあります。

体にぴったりとはりついたタンクトップにホットパンツのウエイトレス、露出度満点のユニフォームがトレードマークのこのレストランは現在、
アメリカを中心に世界20ヶ国500店舗を構え、アメリカ全土だけでも年間9億ドルを売り上げる外食チェーン店です。アジアでは、
シンガポール、中国、台湾に続いてソウルにオープンすることとなりました。
注文を受けるのはいずれも20代前半の若い女性たち、アメリカの本社からやって来たトレーナーのもとレッスンを受けています。
「フーターズガール」と呼ばれるウェイトレスは21人。オープニングスタッフを募集したところ600人が応募、
競争率30倍のオーディションを勝ち抜き選ばれました。
1月18日、オープン2日前。スタッフのお披露目もかねたプレオープンイベントが開かれました。招待客を相手に初めてのサービング、
2週間にわたる研修の成果が問われます。身振り手振りを添え、愛嬌たっぷりにオーダーを取ります。初対面とは思えぬ、
まるで友達のような雰囲気であっという間にお客さんを独特の世界へ引き込みます。注文を受けた料理を運ぶだけでなく、
お客様を退屈させないよう頻繁に話しかけるのもフーターズガールの大切な仕事です。テーブルの脇に立ち、かいがいしくお客様の世話をします。
フーターズガールの接客はマニュアルがあってないようなもの、「明るく」「元気に」「セクシーに」
という店のコンセプトにあっていれば後は自由、どんな方法でお客様にアプローチするかは本人の力量次第なのです。
儒教の教えが人々の生活に色濃く残る韓国では女性に対する保守的な考え方は日本の比ではありません。
しかし好奇に満ちた世間の噂をものともしないフーターズガールズたちの底抜けの明るさと、お客様を喜ばせようとひたむきに演じる姿には、
時代を変えていくエネルギーが漲っているように感じます。生ビールが1杯3000ウォン、日本円で380円程度。
韓国のビアホールと変わらない価格設定で勝負に出ます。物議をかもす「セクシーレストラン」
はいったい韓国の人たちにどのように受け止められていくのでしょうか。

きょうはソウル市瑞草区(ソチョグ)盤浦洞(バンポドン)にあるフランス人街、ソレマウルを紹介します。
ここにフランス人街ができた背景には、実は学校があります。フランス人学校が1985年に龍山区(ヨンサング)漢南洞(ハンナムドン)から、
瑞草区盤浦洞へ移転しますと、子どもの教育を思うフランス人たちが次々と学校の近所へ引っ越してきて、
自然にフランス人街が作られたというわけです。現在は韓国に滞在するフランス人の40%がこのソレマウルに住んでいます。

ソレマウルへの目印は、フランスの国旗、トリコロールの青、白、赤の三色で染められている歩道です。
でも街の雰囲気はソウルのふつうの街と変わりません。確かに表通りに面したオープンカフェやフランス料理のレストランが目に留まりますが、
裏通りには韓国料理、日本料理、中華料理の店もあります。このトリコロールの歩道の突き当たりには方背(バンベ)中学校があります。
距離は歩いて10分ほどです。
フランスと言えば、やっぱり思い浮かぶのはパンとワイン。それで、まず、パン屋さんに行ってみました。
ここのパン屋はフランスの味を出すために、フランス人のパン職人がフランスの小麦粉を使ってバゲットを焼いているそうで、
なかなかの味でした。スーパーの前を通り過ぎようとしたら、掲示板がありました。残念ながら、
フランス語のものは何と書いてあるか分からなかったのですが、韓国語のものは「ハウスキーパーをやります」「部屋を貸します」
という張り紙でした。
表通りから一歩入りますと、閑静な高級マンション街が広がっています。しばらく歩きますと、
遠くに人だかりが見えてきました。フランス人の大人たちです。時刻は午後4時、フランス人学校の幼稚園の迎えでした。
ざっと30人は校門の前に集まっていました。表通り側には小中高校があります。やはり、こちらでも、大人たちが子どもを待っていました。
フランスでは小学校低学年までは、保護者の送り迎えが義務づけられているとのこと。韓国のフランス人学校でも登下校の時間になりますと、
大勢の親子で混雑する姿が見られます。フランス人学校の近くの公園では、フランス人の子どもたちがブランコや滑り台、
砂場で楽しそうに遊んでいました。
※行き方:ソウル地下鉄7号線「高速ターミナル駅」5番出口徒歩10分
清渓川(チョンゲチョン)は光化門の東亜日報社前から流れる約5.8キロの区間に作られた人工の川。
もともとこの地に流れていた川が都市の発展に伴い汚染が進んだため、覆蓋工事を進め1968年には高架道路も建設されていた場所でした。
しかしこの高架道路も老朽化したため、
本来の川の姿を取り戻し緑あふれる地球に優しい街づくりのためソウル市が2年以上かけて復元工事を行い、
2005年10月に新しい清渓川が完成したのです。
この川に架かる22の橋の中には以前架かっていた橋を再現したものがあったり、
現代アートのオブジェや市民の手による壁画などもあって文化的に楽しめる他、
緑豊かな散歩道も整備されているので川沿いを歩くだけでも楽しめます。
近くには仁寺洞や東大門、光化門もあり、アクセスも便利ですhttp://cafe.naver.com/luna73/292


始流点である清渓広場へは、地下鉄5号線「光化門駅」5番出口または1号線「市庁駅」4番出口
< 主な見どころ >
*光化門・東亜日報社前「清渓広場」:川が流れ始める地点に作られた広場。
滝や清渓川を600分の1に縮小したミニチュアなどが見られます。
*広通橋(クァントンギョ):清渓広場から2番目に架かる代表的な石橋で、
朝鮮時代は都城内で最も大きな橋でした。
*文化の壁:東大門駅近くのボドゥル橋と五間水橋の間にある壁。「自然・環境」
をテーマに5人のアーティストが制作した作品が見られます。
*希望の壁:
2万人の市民が思い思いの絵や文字を書いた10センチ四方のタイルが貼られた壁。1号線「新設洞駅」近くの黄鶴橋(ファンハッキョ)
近くにあります
漢江にあるは仙遊貯水池施設を改造して作った韓国初のリサイクル生態公園。仙人が遊び歩くという意味を持つこの島は、
1978年から2000年までソウル西南部に水道水を供給する浄水場として使われている途中、
2002年4月に生態公園として生まれ変わりました。
漢江歴史館では漢江流域の地質や生態系、漢江沿いの文化遺跡などが展示されており、水生植物園では水生植物と浄化過程を見ることもできます。
特にこの公園では四季が感じられるように樹木や花がいくつかの小さな庭園に植えてあり、
自然美と造形美が完璧な調和を成す穏やかな雰囲気が訪れる人々を和ませています。
また夜にはアーチ型の橋が華やかにライトアップされ、ソウルの美しい夜景のうちの1つに数えられています

地下鉄2号線「堂山駅(237)」1番出口出て605、6623、6631、6632、6633番のバスに乗り、
ハンシンアパート前で下車し、仙遊橋まで移動。
地下鉄2・6号線「合井駅(238・622)」8番出口出て605、6623、6631、6632、6633番のバスに乗り、
ハンシンアパート前で下車し、仙遊橋まで移
観光案内電話 :+82-2-1330(日本語可)
公園事務所:+82-2-3780-0590~2(韓国語)
運営時間:06:00〓24:00 (展示館 09:00〓
18:00)
入場無料
付帯施設:カフェテリア、案内所
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ナンタ専用劇場は韓国最初のノンバーバル(非言語)・パフォーマンスである「ナンタ(乱打)」を常設公演する劇場。 このナンタは韓国の伝統国楽であるサムルノリのリズムを活かしたパフォーマンスで、 厨房を舞台に4人の料理人が鍋やフライパンそして包丁など様々な調理器具を使ってリズムを奏でるパワフルなステージ。 そのスピード感と楽しさあふれるコミカルな演出で爆発的な人気を得た他、海外でも多数公演。 最近では観客の70〓80%が外国からの観光客が占めるというほどです


地下鉄:
〓5号線「西大門駅」の5番出口(京郷新聞社方向) から出て徒歩で15分所要。
〓1・2号線「市庁駅」の1、12番出口から出て、徳寿宮の石畳に沿って京郷新聞社方向に徒歩12分所要。
バス:
青色の幹線バス(160、161、260、270、271、370、470、471、600、602、702、720番)、 緑の支線バス
(7019番)赤色の広域バス(9701、9705、9709番)、空港バス(605番)に乗り 「ソウル歴史博物館」前で下車後、
貞洞十字路方面に直進。
電話:+82-2-739-8288(日本語可)
ホームページ : http://www.nanta.co.kr(日本語あり)
観覧時間 :(月〓金)16:00、20:00 / (土曜日)13:00、
16:00、20:00/(日曜日、祝祭日)15:00、18:00
休館日 :なし
観覧料:(VIP席)60,000ウォン/(S席) 50,000ウォン/
(S席)40,000ウォン
韓国最大のチャイナタウン〓仁川市中区北城洞
ソウルから電車で一時間ほどの仁川(インチョン)には、 韓国最大のチャイナタウンがあります。
1883年に仁川港が開港して以来、海を隔てた中国山東半島から、たくさんの人々が仁川に移り住みました。
彼らが港の周辺に集まって住んだことから、韓国の人々はそこを「華僑村」と呼びました。
仁川で生まれ育った韓国人にとって、チャイナタウンは最も身近にある異文化の街です。 異国情緒漂うこの街を、
スケッチに訪れる画家も多いと聞きます。
仁川市中区北城洞が韓国で最も大きいチャイナタウンとなった理由は、華僑の子供たちの通う「中山学校」 があることです。
ここでは幼稚園から高校までの教育が行われており、華僑の人々は子弟の教育のために、 仁川の街を離れられなかったのです。
中山学校の入り口にある仁川華僑協会では、この街に住む華僑の戸籍を管理しています。
一般に、中国本土を離れて海外に定着して暮らす中国人を「華僑」と呼びますが、華僑協会では台湾、
つまり中華民国の国籍を有した者だけを華僑と定義しています。現在韓国には、 2万6千人ほどの華僑がいるそうです。
ここで、韓国の華僑の歴史をふり返ってみましょう。
1930年代に山東省で飢饉が起こったころ、大勢の農民が渡し船に乗って仁川へと渡りました。 財産も何も持たない農民たちは、
港の周辺の空き地を耕して、なんとか暮らしを営み始めました。
1950年に韓国戦争が勃発すると、仁川は大混乱に陥ります。この時期、 少しでもお金のある華僑は香港に逃れ、
仁川の華僑村は廃墟と化しました。
1960年代末、朴正熙政権は韓国に住む外国人の財産登録制を実施しました。 もともと土地の所有権を持たない華僑は、
わずかながら耕した畑からも追い出され、 この時期に台湾に渡ったり、アメリカやヨーロッパ、日本に移民した人も多かったそうです。
韓国にとどまった華僑は、韓国籍を持たないため就職の道も閉ざされていました。仕方なく彼らが始めたのが、 食堂でした。
今では韓国の食生活にすっかり定着したジャジャンミョンですが、 これは港で働く労働者が手軽に食べられるようにと、
仁川の華僑が作り出した料理だったのです。
中山学校の前の坂道を下った先に、「共和春」という中華料理店がありました。すでに店は閉まって久しく、
古びた看板の文字が辛うじて読めるだけです。しかしかつてここは、華僑村で最も流行った店として、 仁川華僑の歴史に刻まれた場所です。
ここに博物館の作ろうという計画も立てられているそうです。
1993年に韓中国交が樹立した直後から、 仁川市中区ではチャイナタウンの復興計画を積極的に推し進めました。
まるで突貫工事のように進められた復興によって、 チャイナタウンは強烈な赤色や金色でけばけばしく飾り立てられてしまい、
昔ながらの風情がなくなってしまったという声も出ています。しかし復興が実現したからこそ、週末には大勢の観光客がここを訪れるようになり、
街は活性化しています。 商売目的でこの街に移り住む韓国人や、中国大陸から渡って来るニューカマーも急増し、
仁川チャイナタウンは新しい歴史のページを開いたところです
24時間眠らない街といわれる東大門市場(トンデムンシジャン)。ここはファッション関連のビルが30近く立ち並ぶ一大ショッピングスポット。特に全国各地から仕入れに来る人で賑わう夜中は、エネルギッシュなソウルを実感できるハズ。
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